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zoom RSS 霊魂不滅の法則と神隠し 魂の世界と妖怪の世界

<<   作成日時 : 2012/09/10 01:47   >>

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「ヒトはなぜ神を信じるのか」の続きです。
○ヒトはなぜ神を信じるのか 進化心理学が解き明かす神の起源
http://yoshibero.at.webry.info/201209/article_11.html
先のエントリーでこの本の紹介は不十分でした。
だから続き、ってわけではなく、さらに脱線します。
心と魂の違いの続きと、霊魂不滅の法則と妖怪との関係を考えます。




「ヒトはなぜ神を信じるのか」の巻末の「注」にクローン人間に関するおもしろい統計が載っています(p285)。
アメリカの心理学者が大学生を対象に調べています。
クローン人間をどのように定義したのかわかりませんが、
おそらく何となく知っているクローンが対象だと思います。

人のクローンは心を持つ67%、持たない12%、わからない21%。
人のクローンが魂を持つ32%、持たない34%、わからない34%。

ちなみに同じ対象者の調査で
人は心を持つ94%、人は魂を持つ67%
です。

ここにも心と魂の違いが見られます。
体細胞クローン人間だろうと受精卵クローン人間だろうと、普通に妊娠して出産して成長するわけですから、クローンでない人間と同じように心や魂を考えるべきですが、なぜかクローン人間には心も魂もないと思う人がいる。

さらにもっと理解不能なのは、心はあるが魂はないと言う考えです。
意味不明ですけど、もしかしたら、映画に登場する人間型のアンドロイドやロボット、不死身の人間や人間型のエイリアンはその手の範疇に入るのかもしれません。

とりあえず、これらは人間や人間もどきの格好はしていますし、人間と会話もできますし、人間とチームを作って仕事をすることもできますから、心通わせないといけませんし、ときには感情的になったりしますから、心がある。

しかし、魂はない。彼らは死んでも天国に行かないし、人間に生まれ変わることもない。とりあえず殺してもよい。心があるから殺した側の人間の心が痛むかもしれませんが。永遠の魂はないことで、人間とは区別できる。


じゃあ、脳死やいわゆる植物状態の時はどうなんでしょう。
少なくとも生物学的には両者とも生きています。
脳死は医学的には死んでいることにしたい医者が多くいます。
臓器移植が絡んで、日本で法律では、脳死は条件付きで死んでいて、別の条件では生きていることになっています。
植物状態は法的にも生物学的にも医学的にも生きています。

では、心や魂はどうなっているのでしょう。
はたかれ見れば、心はなくなっているように見えます。
硬直したり腐敗したり焼かれて骨になった状態なら心はないと判断するでしょう。

しかし、脳死状態は心臓が自力で動いて、触れば柔らかくて暖かいし、爪も髪の毛も伸びてきますし、妊婦さんなら妊娠が継続できて出産までした例もあります。
死んでいるよう今見えませんが、呼びかけに応答してくれません。

子どもだと長期脳死の人がいて、家族などが介護しているわけですが、その場合はもちろん心はあるでしょう。
第三者の目なら、心は微妙でも、先の標準概念なら、魂はあることになります。
普通に死んでも魂は不滅で不変ですから、脳死でも植物状態でも関係ありません。

ここでも、心と魂の違いが見られます。




パーソン論自体いろいろですし、パーソンと非パーソンの境界もいろいろです。

ここでは些細なことは忘れたふりして、おおざっぱに言ってしまえば、魂は人であればどんな状態でもある。
しかし、心はパーソンにあって非パーソンにはない。

もちろん、本来のパーソン論と違うのは百も承知です。無理やりの分類です。
生存権やら自由意思やら人格やらややこしいことは無視しています。

脳死や意識不明や重度の脳障害者や老人性痴呆や極端にIQが低い人や無脳症児や一定週以下の胎児など非パーソン扱いです。
これらの状態で心がどうわかりませんけど、無理やりないとすると(もちろんあるかないかどちらか、ではないので、程度の問題でしょうが)パーソンにだけ心があることになります。
魂は死んでいてもあるわけですから、非パーソンにも魂はある。

パーソン論には福祉の問題だけでなく、殺していいかどうかも問題になります。これは人間に限らず、動物にまで拡大解釈されています(少なくとも大型類人猿はパーソンです)。

脳死者や植物状態は非パーソンですから、すでに生存権は持っていません。臓器を摘出してもいいわけです。心臟を取り出せば間違いなく生物学的には死にますが、魂は不死で不変ですから、その間、パーソンが非パーソンになるが、人間でなくなろうが、魂は生き続けています。

殺していいかどうかの議論は肉体を持った人間の話であって、パーソンは殺してはいけませんが、非パーソンは殺してもよい。そうすれば非パーソンですらなくなります。
それでも魂は生き続けます。魂にとっては、殺人も関係ない。

(ただし、霊魂不滅を信仰している新興宗教が「魂まで消滅させるぞ」といえば、立派な脅し文句として成り立ちます。「地獄に落ちるぞ」という脅しより怖いかも)

乱暴な議論であることは承知の上ですが、どこかで聞いたことのある考えだと思い出されます。

そう、妖怪です。

心と魂と妖怪。

全然つながりがないようですけど、意外な関連に気がつきます。




死なない存在としての魂は、霊の世界であり、ある意味オカルトです。
では妖怪はどうか? となると、妖怪に対する認識の違いで、とらえ方はまちまちでしょう。

以下は、妖怪学を近代的な学問として確立された小松和彦氏の「神隠しと日本人」からの引用と、私の妄想です。
この文庫本は10年前の2002年刊、元本は1991年刊行です。
少し古いですが、内容的には全く古くなりえない傑作です。

神隠しと日本人 (角川ソフィア文庫)
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この本のp221におもしろい指摘があります。

神隠しによる異界体験談と「臨死」つまり事故や病気でほとんど死にかけた者がみた夢−−その多くは美しいお花畑を歩いていたとか、空中を飛行していたとか、トンネルを通過したとか、三途の川があったとか語られる−−とがかなりの部分において重なることである

小松氏は臨死体験は「夢」と語っています。これは妥当な考え方であり、その認識でその後少しだけ臨死について取り上げておられますが、私は臨死と神隠しとの関連性に興味を持ちました。


かつて「神隠し」という民俗社会の決まり事がありました。

人が誘拐されたり行方不明になったりすると、今だと警察の出番です。事件、事故を問わず、ある程度捜査されます。
拉致、誘拐、自殺、家出、駆け落ち、いろいろ事情はあるでしょうが、調べていけばある程度は真相が判明します。

歴史上、ある時期まで、これらの事故や事件は「神隠し」として処理されていました。

「天狗」や「鬼」の仕業とするわけです。あるいはキツネにダマされたと。
(「天狗」や「鬼」は妖怪の一種です)

ある集落から1人の突然人間がいなくなる。事件だろうが事故だろうが、一定期間帰ってこなければ、長老の出番で、神隠しに遭った、と神託が下れば、天狗や鬼の出番です。
どんな「神隠し譚」にするかで天狗や鬼が選ばれ、連れて行かれた異界も決まります。


神隠しに遭いっぱなしで戻ってこないのであれば、神隠し状態がどんなところでどうやって起こるのかわかりません。物語も作ることができません。都合がいいことに、神隠しに遭っても集落に戻ってくる人がたまにいます。

もちろん、単に家出していたとか、崖から落ちて気を失っていたとか、いろいろ事情があるでしょうが、長老などに聞かれ、誘導尋問もあったりして、神隠しに遭ってどんなところへ行ってたと証言すれば、立派な神隠しになり、神隠しとはこういうものだとの物語も強化されます。
その物語の方便として、天狗や鬼が出てくるわけです。

この話、どこかに似ていますね。

「幽体離脱」や「生まれ変わりの村」のお話です。
神隠し同様、幽体離脱であろうと生まれ変わりであろうと、生きた人間が何らかの状態で「みた」ことが都合のよい物語に置き換えられています。

神隠し伝説も幽体離脱も生まれ変わり伝説も、あくまでも生きた人間が経験したと感じたことが元になっています。どこまでいっても、死後の世界や天狗の世界が実存しているという話にはなりません。

神隠しは突然いなくなった人に対する説明装置として都合よく機能していました。
ある意味、あきらめがつくような装置で、葬式も出しやすくなります。
無用な詮索はするなと。あるいは納得しろと。
(神隠し認定されても、ときおり帰ってくることもあります。その場合も、同じ神隠し伝説の範囲内で再び村社会に戻ってこられるようになっています)

この装置が効かないあるいは忘れてしまった現代社会では、警察などの権力に頼るしかないわけですが、行方不明者がいつまでも発見されなければ、素直にあきらめがつかなく納得できない社会となってしまいました。

一方で、魂の不滅・不変伝説も、神隠し伝説と同じように、民俗社会を円滑にする装置だと考えることができます。こちらの伝説は神隠しと違ってまだ現役です。
生きがいやら人生の目的やら道徳やらを持ち出すとき、この装置があるお陰でうまく説明できることがあります。

つまり、霊魂不滅の法則はかつての神隠しと同じような装置なわけです。社会を円滑化する方便なのです。

進化心理学的にも神経科学的にも分子生物学的にも、あらゆる科学の学問で、霊魂不滅の法則は支持されていません。検証はされていますけど、支持できる証拠は見当たらず、不支持の証拠なら山ほどあります。

それでもこの装置が生き続けているのは方便だからです。霊魂不滅の法則はかつての神隠しと同じように滅ぶ運命なのか、それともしぶとく生き残るのかわかりませんが、しばらくは生き続けるでしょう。

霊魂不滅の法則に変わる新しい方便が発見されれば、霊魂不滅の法則は神隠しにあい、新しい方便の時代が来ることでしょう。

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怪異 妖怪 神隠し 「妖怪文化入門」
「妖怪文化入門」 「怪異考/化物の進化 - 寺田寅彦随筆選集」(次回登場) 進化心理学や神経科学、脳科学の領域でどうしても出てくるのが霊魂不滅の法則です。この話題における学術的な話の多くは欧米の著者による本に書かれています。日本文化に根ざした論考があまりないのですけど、その一つの方法として、前回、「神隠し」との関連性に触れました。 ○霊魂不滅の法則と神隠し 魂の世界と妖怪の世界 http://yoshibero.at.webry.info/201209/article_12.ht... ...続きを見る
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