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zoom RSS 脳科学 脳と意識 その2

<<   作成日時 : 2012/05/03 03:00   >>

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2012年04月15日初版
○脳科学 脳と意識
http://yoshibero.at.webry.info/201204/article_31.html
の続きです。
その記事で、第1章から第5章までの脳科学の解説と、この本のウリと思われる第6章の脳科学の法制度への反映について感想を述べました。
ここでは、第7章(最終章)の「君主制後の世界」について書きます。
ついでにあれこれ蛇足も。




第5章までで、自分の意識というのは、脳の操縦士役ではなく、脳の機能の一部にすぎない、つまり、主役ではなく「自分自身の中心からも転落」したことが確かめられました。

ありのままの現実を見ていると思っていても、それは脳が作って脳が提示した一部を意識しているだけで、脳の中には意識がアクセスできない不可侵領域があり、それがむしろ中心かもしれない。
多くの人は、脳の中には変わらない本当の自分、自分探しで見つけるべき自分があると思っているが、脳が作る意識はひとつではない。多数ある選択肢のうちひとつが意識として上ってくる。

第6章では、脳の一部のわずかな損傷、薬物投与により、脳は簡単に変化し、それ以前とは全く違う機能を発揮することを確認する。当然そこから上ってくる意識も大きく変化する。そのことから、法制度、刑罰、更正のあり方を見直し、社会のためにもなる前向きな法制度を検証している。

地球は太陽系や宇宙の中心ではなく、ヒトは進化による偶然の産物であって神に似せて特別に作られた創造物ではなく、さらには変わらない自分だと思っている意識は自分の身体や脳の中心ではない。

人間は平等ではない。これは差別をしてもよいと言うことではなく、脳機能の多様性を認め、1人の人間の中でも一様でないことを見つめる必要がある、という意味です。

このような脳科学の成果を踏まえ、脳天気な哲学者による無意味な議論は無視し、心脳問題という意味不明な議論をしている思想家たちを置き去りにし、どのように考え、生きていけばいいのか。

ここで簡単にその考えをまとめようと思ったけども、内容が多肢に渡っており、概略を述べることで薄っぺらくなってしまうので、やめます。この本を読もうかなと思った人には、ぜひ、最終章をじっくり読んで欲しい。
唯物論的還元主義やオッカムの剃刀など、やんわりとやり過ごし、自制の効いた議論には好感が持てます。




画像


同じ著者が、次のような「小説」も書いています。

脳神経学者の語る40の死後のものがたり
筑摩書房
デイヴィッド・イーグルマン

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タイトルを見ると、なんだか怪しいトンデモの匂いがしますし、訳者と帯の推薦者がトンデモ作家だし、大丈夫かなぁと心配になる本ですが、違います。

作者自身、先の「傍観者」の本の「私たちには身体の生理とは別の魂があるのか」という記述に対する注釈として「はっきり言っておくと、私は魂にまつわる昔ながらの宗教話に心を動かされはしない」と書いています。至言ですね。

そんなわけですから、この「死後のものがたり」はかなり刺激的で、漫画的で、皮肉たっぷりの「ものがたり」です。タイトルや訳者や推薦者で想像して読むとひっくり返されます。

「神様」が何度か登場します。信仰心あつい人が読めば顔を真っ赤にして怒り出しそうです。大丈夫かなぁ。

さらには、「ビックバン理論は間違っている」なんていう、訳者に対する皮肉のような文章や物語まであり、どの物語もあれこれ関係のない世界へ連れて行ってくれます。続きを考えたり、自分ならこっちへ行くなと、枝の物語を作ったり。







これで終わってもいいのですけど、以下、蛇足です。


繰り返し実践することで脳が獲得したことは脳に格納されています。しかし、意識に上ってくることはそのうちの一部だけであり、そればかりか意識が探知できない脳の領域まである。アクセス不能でコントロールもできない。

このことは意外に思うかもしれないが、少し考えて見ると簡単にわかる。

例えば、技能の習得。パソコンのマウスを操作することは、慣れていれば別段難しくはない。思った位置にカーソルを素早く動かせクリックできる。慣れてくればカーソルをハッキリと認識していなくても、目的のこところへ持っていくことができる。
ところが、はじめマウスを使う人の動きを見ていると、イライラしてくる。なんで動かせないの? 簡単なことなのに、と。

車の運転でも、自動車学校で習っているときはハンドル操作もまともにできない。単純にまっすぐ走ることも意外と難しい。車庫入れとなるとパニックになる。
ところが、数十年、数十万キロ運転していると、ナビが左に曲がれというのでとっさにハンドルを切って、曲がった先が車が一台通れるかどうか怪しいような細い道であっても幅1.8メメートル、長さ4.8メートルもある車でも難なく通過できる。
脳がその先の道を知っているかのように、ある程度のスピードがあっても、これ以外考えられないという軌跡を難なく腕の筋肉を操縦し、車に傷つけることなく通過していく。もちろん、覚醒している必要はある。眠っていると事故を起こす。
この時、自分の意識は何をやっていたのか。何を見て何を命令し、どんな行動を起こしたのか。意識の関与はどのくらいあったのか。

「傍観者である」には、ひよこの雌雄の見分け方の話が出てきます。職人さんは瞬時に雌雄を見分け仕分けする。
ところが、この技術を言葉で説明することができない。目で見て視覚で判断しているはずなのに、当の本人にもどうやって見分けているのかわからない。
この技術を伝達するためには、現場をみるしかない。そして、見よう見まねで実践するしかない。最初の確率は五分五分。雌雄は見てわからないので、適中率が悪くても、答えを確認しながら繰り返し実践すると、正解率が上がり、そのうち職人さん並みになる。

ほぼ確実に雌雄が見分けられるようになったと言うことは、その判断は脳がやっていて、訓練により脳が技術を獲得したことになる。
ところが、技術を習得しても、なぜ見分けられるかわからない。この「わからない」は意識に上る脳の働きであり、しかし、脳はきちんと仕事をしている。つまり、意識がアクセスできない領域があり、それが雌雄を見分けている。

これは、このような特殊な技能だけの話ではなく、日常生活の多くの行動で見られる。

パソコンのマウスを動かしてあるところにポインタを動かすという運動は、どうしてそのような動きできるのか説明しようとすると意外とできない。見ているのはパソコンの画面上だけで、動かそうとしているのは利き腕でかぶせているマウス。マウスをどの角度でどのくらい動かせば場面上の目的のアイコンにまでカーソルを動かすことができるのか、きちんと計算したわけではない。だけど、普通ちょこっと動かすだけで一発で目的のところまでカーソルを動かすことができる。
実はその簡単な動きでも、視覚で画面を捉えて、その情報を脳が解析して、カーソルを認識し、アイコンを認識し、カーソルからアイコンまでの角度や距離を認識し、それから手の筋肉に伝令を出し、その神経を操作してマウスを持ち上げたり動かしたりさせ、それも、カーソルがアイコンにかかるようにうまく動かす。
それ以外にも多くの情報を処理し、結果的にアイコンをダブルクリックで開くことができる。

この一連の動きの中で、脳が激しく活動し、いろんな指令を出し伝令を受け、一瞬のうちに目的を達成できるように働いているわけだけれども、その間、自分の意識に上ってくることは、つまり自分の意思でやったこと、自分の自由意思で実行したと判断できることはどれくらいなのか。目を閉じて自分の意識でじっくり考えて見ると、意外なことに、それがほとんどないことに気がつく。

これを利き腕でない方の手でやってみると、初心者がうまくできないことが実感できる。利き腕ならそれこそ無意識にカーソルを動かせるが、利き腕でなければ、視覚と腕とを連動させながら、遅くてぎこちない動きで、イライラしながら動かすことになる。利き腕で無意識にできたことが利き腕でなければ意識しないと動かせない。だけど、意識しているのはカーソルを目で追って腕の筋肉をこっちへ動かしてっていう程度だけど。



いったん自転車に乗れるようになれば、その後何十年のブランクがあっても、転ばずに乗れる。はじめて乗ったときは乗れなかったのに、どのようにバランスをとってどの筋肉に力を入れればいいかわからなくても乗れる。



例えば、耳の後ろが痒いので右手の人差し指でかいた。

という場合でも、脳が激しく働いているわけだけれども、意識がその一連の動きの中でどれだけ関与しているのかじっくり考えて見ると、なんで人差し指なんだ、どのようにして腕・指を動かしたのか、「意識」はさっぱり理解できない。
自分の意識が全てに対して意思決定したわけではない。では意識は何をしている? 意識以外は何であって何をしている?

これらは行動の話で、小脳の話だろう、脳の高尚な機能とは別の条件反射みたいなものだろう、という人もいるかもしれない。
しかし、視覚ひとつとっても、同じことが言える。対象を客観的に見ていると思っているが、意識下の働きが多くを占めている。脳が見るとき、カメラで撮影したようには見えていない。首を上下左右に振ってみるだけで、それは実感できる。鏡をのぞき込んでみると、もっとおもしろいことに気がつく。視覚の上下左右ってなに?




脳が処理したことのうち、一部だけが意識に上り、脳が意識に視覚を提示し、意識は脳を制御できるわけではない。意識が意識下に関与しようとするとうまくいかなくなる。

この事実はいろんなところで「使える」。
繰り返し練習し訓練したことは意識下の脳がやってくれる。どうしてやってくれるのかなど意識が考えてしまうと、行動があやふやになりうまくいかなくなる。

前に書いたように、テニスで強い勝つ人に簡単な方法がある。
相手に考えさせる。そのサーブはどのようにして打っているのか?
どうしてだろう? と考えながらサーブを打つと、うまくいかない。
ダブルフォールトになるか、緩いサーブしか飛んでこない。
なので、勝てる。

体操やフィギュアスケートで、練習では何度も成功していることが、本番でできない。それは意識が邪魔しているから。脳科学的には、意識を閉じ、意識下の脳に勝手にやらせればうまくいく。考えないことが成功の元。

プロ野球選手は時速160 kmの速球をバットの芯に当てて難なく打ち返すことができる。脳生理学的には絶対に不可能なことなのに。視覚が認識し、その情報を筋肉に伝えてといった一連の動きに必要な時間が足りない。
じっくり玉を見て打て、といっても、じっくり見ていては打てない。意識を閉じ、意思下の脳に任せておけば、打てる。

とはいっても何もしないで打てるようになるわけではない。練習は必要。意識下で、意識せずに、意識の関与しない脳の機能だけで打てるまで練習する必要はある。そうすれば、意識下に脳の回線ができ上がり、意識を関与しなくても速球を打つことができる。ただし、そこでどうして打てるんだろうとか、あれこれ考えて意識すると打てなくなる。脳に任せておけばよい。




これらはどうでもいいことかもしれないが、しかし、例えば犯罪。
当時のことは覚えていない、なんでそんなことをしたのかわからない。
これは意識してウソをついて言い訳していることもあるでしょうが、本当にわからない、覚えていないということがある。
記憶とは? 意識下の行動とは? 意識が決定している行動とは?

それを考えるときに、どうしても必要になる。




以前、自分探しがばかばかしいという話を書きました。

変わらない自分、本当の自分、まだ見つかっていない自分。

そんなのは、道徳的にあり得ない。哲学的にもあり得ない。
そして、脳科学的にはもっとあり得ない。


繰り返しになりますが、
脳の一部が物理的に変化すると、場合によっては人格が変わり、それにともない行動も大きく変わる、つまり文字通り人が変わったようだ、という状態になることがある。
脳腫瘍ができて脳のある領域が圧迫される、外傷により脳細胞が損傷を受ける、いろんな原因で、それまで働いていた脳の機能が変化することがある。

変化した場所、変化した行動などを追いかけると、脳のどの部分がどの行動を分担しているかなどがわかるわけですが、同時に、脳が人格、意識を作っていて、脳が変わると人格意識も変わる、人格や意識は脳の機能として発露する、脳に依存していることがわかる。

そんなことはない、それでも変わらない魂がある。という人がいる。
極端な人なら、死んでも魂はそのままあると主張する。
死後の世界、
永遠の生命。

それがあるかないのか、もちろん、検証する方法を我々は見つけていないのでわからない。検証する方法が見つかれば、その存否を議論できるかもしれないが、いまのところ誰にもわからない。なので、変わらない自分としての魂のような存在は言った者勝ちで、否定も肯定もできない。

これは科学ではない。

脳科学では、自分探しなどナンセンスと言うことになる。




自分探しをしてはいけないわけではない。
死後の世界や永遠の生命を信じてはいけないという話でもない。
信じたければ、ただ単に信じればいいだけの話です。

ただ、信じたい理由に、科学ではわからないことがある、科学が万能じゃないだろう、という、ニセモノの科学を持ち出し、本物の科学の領域に首を突っ込み、科学を否定し、科学を捨て、だからこそ信じるんだ、という論理だけはやめて欲しい。こういう人の言っている「科学」は典型的なニセ科学です。

「人は死なない」という本が売れ、「生きがいの創造」なんていう与太でもありがたがってあがめられています。日本人の中で、肉体とは別に魂があって、純粋に死後の世界を信じていて、死後、その魂があちらの世界へ行く、と信じている人の割割合はどのくらいなんでしょう? 半分ってことはないですよね。多数派でしょう。アメリカ人では9割だそうです。
○霊魂や死後の世界を信じること ある80有余年生きてきた方の独白
http://yoshibero.at.webry.info/201204/article_32.html
○死後の世界 輪廻転生 人は死なない
http://yoshibero.at.webry.info/201204/article_25.html

哲学的にも科学的にもあり得ない話が、安らぎが得られる、生きがいになる、道徳が生まれる、といった理由で、その考えが生き残っていて多数派を占めるというのには、もちろん理由があるでしょう。

進化の概念、自然淘汰、適応、の考えを当てはめるなら、このような考えが生き残ったことの説明が可能です。意識そのものは進化の産物ですし、どのような意識ができるかは淘汰圧と適応で説明できます。この辺の話もおもしろいのですが、この本ではその辺の話はあまりページを割いていません。

この本は純粋に脳科学を説明し、社会への応用を述べているわけですが、意識と進化に関する話は意外とたくさん出版されています。意識はどのようにして生じたのか?
その最新の本として「ソウルダスト」というのがあります。「赤を見る」でおなじみのハンフリーです。こちらも刺激的な本ですので、そのうち感想を書こうと思います。


ソウルダスト――〈意識〉という魅惑の幻想
紀伊國屋書店
ニコラス・ハンフリー

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