やさしいバイオテクノロジー

アクセスカウンタ

zoom RSS 脳科学 脳と意識

<<   作成日時 : 2012/04/29 03:04   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 1 / コメント 0

2012年04月15日初版
脳科学の本はゴマンとある。
ところが、この手の本を読んでいると、極端に難しかったり(意味不明の専門用語を使いすぎていて独りよがりな説明しかない)、極端に分量が少なくてデフォルメしすぎたり(本人もわかっていないのにわかったフリして「やさしく」を勘違いした本など)と、手頃な本がなかなかない。

今回登場する本は分量もそこそこで、ストーリーがよく考えられており、身近な例やどこかで見たり聞いたりしたぞという有名な話も盛り込みながら、比較的新しい脳科学を学べるようになっています。
途中で投げ出すにはもったいないくらいの刺激的で理解しやすい話が続き、読み終えれば別世界が見えてきます。翻訳もよい。

意識は傍観者である: 脳の知られざる営み (ハヤカワ・ポピュラーサイエンス)
早川書房
デイヴィッド・イーグルマン

amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by 意識は傍観者である: 脳の知られざる営み (ハヤカワ・ポピュラーサイエンス) の詳しい情報を見る / ウェブリブログ商品ポータル




脳科学の専門的な本の場合、聞き慣れない専門用語を連呼されて、それでもその用語の意味も定義もがさっぱりわからず、投げ出すしかない場合が多い中、奇跡的に理解しやい本です。

以前、ダーウィンの、「種の起原」読む、というコラムを書きました。
もし「種の起原」を超訳ではなく普通の訳で読んでいたのなら、ダーウィン自身が脳や心の問題を進化の概念で解き明かされるだろうと予言していることを思い出すかもしれない。

この本には進化心理学もでてきます。
流行だからか知りませんが、低俗な進化心理学、何でもかんでも無意味で無根拠な話でも進化に絡めるトンデモさんもいます。どんな分野でもトンデモさんがいるからしかたがないとしても、この手の人が出てくるのはやっぱりうさんくさいし、気疲れします。

そんな本だけ読んでいれば、進化心理学ってうさんくさいなぁ、と思ってしまいますが、ところが、この本で出てくる進化心理学は自制の効いた適度な話題として登場するため、好感が持てます。

この手の脳科学のポピュラーサイエンスを読んだことのある人なら、おなじみの絵であったり、おなじみの話であったりがふんだんに登場するわけですが、それでも、著者が組み立てたストーリーにしたがって順に読んでいくと、比較的新しいの考え、理論、モデルの一部が理解できるようになっています。

第1章から第5章までで、脳と意識、行動について基本的な解説があります。その結論はこの手の話をあまり読まない人なら衝撃的なことです。次の文章をいきなり読むだけで意味がわかる人はこの本はいらないでしょうけど、この文章の意味を理解したい人なら、平易な解説のお陰で簡単に理解できます。

p252 私たちがどれだけ船の操縦手からほど遠いかを探ってきた。私たちには自分の行動、動機、さらには信念を、選択したり説明したりする能力はほとんどなく、舵を取っているのは、無数の世代にわたる進化的淘汰と生涯の経験によってつくりあげられた無意識の脳である

そして、この本で本当に言いたいことは、その理解を踏まえて、社会的な問題を解決することです。
つまり、反社会的な行動をとる人、いわゆる犯罪者の行動はどのように脳科学で理解・説明できるのか、そして一番重要なのは、脳科学はその行動に対してどんな態度をとるべきなのか。
従来の犯罪に対する処罰・刑罰に対して脳科学の立場から検証し、反社会的行動に対して新しい前向きな対処法を提案しています。




人にはいろんな感覚がありますが、たとえば視覚ひとつとっても、実は複雑怪奇なことが起こっていて、脳はカメラやビデオで映像を記録しているのとは違う処理を行っています。

さまざまな実験や、さまざまな障害を持つ人たち(とはいっても完璧に正常という人がいるわけではない。少数派の人たちって程度の意味しかない)の観察などから、脳のしくみが解明されています。
現実という絶対的存在があって、それを各自が見ていると普通の人は感じていますが、実はそうではなく、脳科学では、むしろ各自の脳がそれぞれの現実を構築している、っていう解釈になってしまいます。。

感覚器官から得られた情報を脳が処理していますが、意識に上ってくる「見る」という経験はそのうちの一部に過ぎません。そればかりか、次のように説明されています。

p58 意識に上る視覚経験は、感覚がとらえるものを正確に予測している場合にのみ生じるのだ」「視覚は客観的にそこにあるものを表現するように思えても、ただで手に入るものではない。学び取る必要があるのだ

p87 正常な知覚と言われるものも、実際には幻覚と変わらない。外部入力によって固定されているだけである。幻覚は縛られていない視覚にすぎない

p72 周囲に対する意識は、感覚入力が予想に反する場合にのみ生じるのだ」「世界についての予測がうまくいっているとき、脳はうまく仕事をこなしているので意識は必要とされない」「何か変化が起こらないかぎり、動きも感覚も意識しない




これらは視覚だけの話ではありません。多くの場合、私たちは自分の視覚や聴覚などによって時間感覚をともなって実在する外界を正確に認識していると信じています。ところが、

p77 結局のところ、私たちは「外に」あるものをほとんど自覚していない。脳が時間と資源を節約する憶測を立てて、必要な場合にだけ世界を見るようにしている。自分はたいがいのことを疑問に思わないかぎりは意識していないと知った私たちは、自分発掘の旅の第一歩を踏み出したわけだ

ということす。
ここまでで第2章が終わりです。

第3章以降、佳境に入っていきます。
p79 あなたの脳が知っていることと、あなたの心がアクセスできることのあいだには、底知れない溝がある

謎めいた文章ですけど、この3章を読めば氷解し、納得します。

意識に上ってくる知覚と実際に脳が処理していることの大きな乖離の話です。我々は自分の脳のことを知っているつもりで、自由意思があって自分のことは自分でコントロールできると思っています。ところが、これが自分だと思っている意識と脳の関係は圧倒的なアンバランスな関係にあり、主従関係もあります。
自分だと思っている意識は脳の中では小さな一部であって端役にすぎない。

適切な例とたとえ話が理解を助けてくれます。

スポーツ選手などにアドバイスとして、「考えすぎるな無心で闘え」といいます。練習して獲得した技能は脳が勝手にやってくれます。意識するとうまく闘えなくなります。同じような技能の相手に勝つための一番いい方法は、相手に考えさせることです。考えている相手は動きがぎこちなくなり、本来の技能が発揮できません。無心で闘った自分が勝ちます。

この話で、脳がやっていることと、そこから醸し出される意識の関係が見えてきます。

あれだけ練習したじゃないか。何度も成功しているじゃないか。なのになんで本番で失敗する。なんで本番でできない。普通に練習したとおりにやればいいだけじゃないか。
そんなときも、この考えが適用できます。
脳は何をしているのか?練習している状態、それによって技能が獲得されること、それを実行すること、それと意識との関係、意識がそれにアクセスしようとすると、、、

謎めいた書き書き方ですけど、本書を読めば納得するはず。って言うか、こんな複雑なことをこの短いブログで説明しきれない。


第4章ではいよいよ共感覚の登場です。同じ著者による「脳のなかの万華鏡」で詳細に紹介されたあの奇妙な世界です。といっても、これが当たり前の人にとってはごく普通の現実ですけど。
(この本では自著の引用をあまりしていません。普通なら「万華鏡」の本を連呼して宣伝するところでしょうけど)

脳のなかの万華鏡---「共感覚」のめくるめく世界
河出書房新社
リチャード・E・サイトウィック

amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by 脳のなかの万華鏡---「共感覚」のめくるめく世界 の詳しい情報を見る / ウェブリブログ商品ポータル



視覚、聴覚、嗅覚などは、普通の人は(といっても、くどいですが多数派の人はという意味)それぞれ独立して、誰でも同じように知覚していると考えています。絶対的な存在、対象があって、それを誰もが同じように知覚していると。

ところが、普通の人同士であっても同じように知覚しているとはかぎらず、意外なことに少なからずの人たちは「共感覚」という奇妙な(といってもその人にとってはあたりまえな)あります。
「脳のなかの万華鏡」で詳しく論じられていますけど、帯を引用すれば、「文字や曜日に色がついている、数字が空間に並んで見える、味や臭いに形がある、音を聴くと色が見える」。


p112 脳の配線のごく小さな変化がちがう現実をもたらす可能性があるわけだ

p113 現実とは一般に考えら得ているより、はるかに主観的なものなのだ。現実は脳によって受動的に記録されるのではなく、脳によって能動的に構築される

いきなりこんな文章を読めば、あほちゃうか、とののしられるだけでしょう。ところが、これが脳科学にとっての現実らしい。詳しい説明を読めば、納得できるはずです。


第5章へ
トロッコ問題が出てきます。この話もいろんなところで見かけます。暴走したトロッコに乗っていて、そのままなら前方にいる5人をひき殺してしまう、手元のレバーを操作すれば進路が変わり、1人だけをひき殺す。さぁどうする。いろんなバージョンがあります。違う殺しかた、再起不能の病人、老人、赤ちゃん、人の代わりにくペットだとか。
正義、道徳、哲学、心理学、そして動物の権利。
最後の動物の権利は奇妙に思えるかもしれませんが、人間の価値の優先順位、生きる意味のある人格と、生きる価値ないあるいは人格のないヒトと分別、パーソン論、あるいは、人格のないヒトと動物との比較、人格のない人手も生命が補償され、ヒトと仕手震源を保つのなら、それ以上に感情を持ち、痛がり、理性的に思える動物たちを平気でときに残虐に殺していいとはいけない。その話のつかみに、トロッコ問題が出てきたりします。

しかし、このトロッコ問題の一番本質は、実際に各自の脳がどう反応しているのかという点であることは間違いない。脳の問題なのなら、脳科学で解釈、説明する必要がある。

さて、脳の中の私はひとりなのか? こう聞くと、ちょっと危ない考えじゃない?と思うかもしれません。多重人格とか怪しい話じゃない?
章のタイトルは「脳はライバルからなるチーム」だし。
ところが、これも読み終えれば多重人格の話ではなく、科学的に納得できます。っていうか、そのように納得したのは私の脳の中の「誰」なんだろうと混乱もしますけど。

p149 脳は葛藤するパーツでつくられたマシンだ」ってことで、わかりやすくするために理性システムと感情システムに分け、それらの葛藤、せめぎ合いとして説明されています。
説明が進むにしたがって、二分法ほど単純なく、さらには意識そのものと脳の関係が見えてきます。

その葛藤から生まれてきて、つまり、脳の中の数多くのパーツが同じ問題について処理した結果のうち最終決定されてから一つだけが意識に上る。その過程で意識は何をしているのだろう? 意識下の脳だけで決めているのだろうか?

さらに、動物に意識はあるのか、ないのか、単純にあるなしの話ではなく、程度の問題なのか、動物の意識と人の意識が連続しているのなら、といった進化的な概念からも考察されます。

そして「ヒミツ」の概念の秘密。
昔、「秘密じゃないけど秘密」って歌があったなぁ(意外なことに、作詞・作曲は大物)。まぁ関係ないけど、だんだん書いていくのが面倒になって来たぞ。



この辺まで来ると、自分はかけがえのない唯一の自分だ。変わらない自分がある。といった概念はあっけなく瓦解します。
p201 われわれとわれわれ自身のあいだには、われわれと他人のあいだと同じくらいのちがいがある

第6章へ
p202 思考と呼ばれるものの大半は、認知の支配がおよばない水面下で起こる。意識のあるあなたが、従来直感していたほど心のメカニズムを支配していないのなら、責任というのはいったい何を意味するのか

そう、我々は自由意識があると信じ、自己責任があると思っている。意識は脳を支配しており、自分で意思を決定したと思っている。
ところが、第5章までの考察から、どうやら根本的な間違いを犯していることがわかる。

なら、法律はどのようにつくればいいのか。誰が何を裁けばいいのか。裁いていいのか。裁けるのか。

脳科学の進歩によってい脳の仕組みを検査する方法や解釈する方法が変化し、それに伴い、脳の障害や損傷に関与している犯罪の事例が増えていきます。

脳に障害が見つかれば、その人の犯罪は無罪、って言うほど単純ではない。
が、正常だと思っていても、自分が思っているほど自分の行動を自分が支配しているわけではない。
では、どうするか。

動物が暴れ、もしかしたら錯乱したり、脳障害を起こした上での行動であっても、人を襲って殺せば、有無を言わさず殺される。殺す方法は時代によって違うが、結果として殺される。先日、クマ牧場から逃げ出した(おそらく劣悪な環境で飼育されていた)クマが人を襲い、結果的に殺してしまった。そのクマは有無を言わさず射殺された。一緒に逃げ出した、もしかしたら人を襲っていないクマもいたかもしれないが、すべて射殺された。別の地域では同じくクマが市街地に出てきただけでまだ人を襲っていないのに多くの人の目の前で射殺された。

人による犯罪でもその場で射殺されることもあります。しかし、法の下で裁かれる。その根拠は何なのか。それでいいのか。

この本では斬新な提案をしています。
その結論はあえて書きません。

意地悪な見方をすれば、第5章までの説明は、この第6章での結論を書くための誘導で、反駁をあえて避け、都合よく結論へ持っていったとも読めてしまいます。




この本では脳の話を「遺伝子」で説明していますが、やはりここは「ゲノム」でしょう。ゲノムの方がスッキリします。ここでも「ゲノム」がわかると、脳の仕組みまでわかってしまいます。

自分が自分だと思っていることの多くは、意識がアクセスできない意識下の脳で働いているもので、その多くはゲノムで決まっている。ゲノムが脳を作り、ゲノムが意識下の働きを支配しています。このゲノムは個人だけのものではありません。進化の産物としてのゲノムです。そして、そのゲノムが読み解かれるための環境が必要です。その環境は一様ではありません。ゲノムが読み解かれるときの偶然の環境でそのゲノムの脳が作られます。その脳から意識が生まれ、作られた意識は意識下の脳にアクセスできない。

p214 生まれか育ちかのことをいえば、重要なのは、私たちはどちらも選んでいたいという点だ。・・・それ(意思決定能力)は市民にとって自由意思の選択ではない。配られた持ち札なのだ




以前、悟っただの、頓悟だの、哲学的な話を書きました。その時には脳科学はおろか、ゲノムも進化も出てきませんでした。悟りをゲノムと進化で考えて見ると、その考えている意識は何なのか、違った世界が見えてきます。


第7章など、おもしろい話の続きは、別の記事に。

画像


テーマ

注目テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(1件)

タイトル (本文) ブログ名/日時
認知症の改善に。認知症改善プログラム
認知症に悩まされていませんか?どのように認知症の問題を克服するか、プロがアドバイスします! ...続きを見る
認知症の改善に。認知症改善プログラム
2012/05/02 05:00

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

関連リンク集

脳科学 脳と意識 やさしいバイオテクノロジー/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる