天然なら安全か 木酢液を例にして 無農薬栽培の危険性

天然物信仰はあらゆる所で見られます。
例えば、合成農薬、合成殺虫剤は危険だけど、木酢液など天然由来なら安全だと、意外と広く信じられています。木酢液を農薬の代替物として使用することは、自然にやさしく、人への安全性も高いと信じられています。
しかし、意外なことかもしれませんが、木酢液には、その製造過程から簡単にわかるように、れっきとした有機合成化合物が含まれていますし、農薬として申請しても、その中に含まれている毒物が農薬基準に満たさないことより、簡単にはねられてしまいます。
つまり、木酢液は農薬とすら認めてもらえないほどの農薬以上の危険物なのです。

天然物信仰の原因のひとつに、天然や自然は人に悪い物をつくらないはずといった信仰があります。
この信仰がおかしいのは簡単にわかりますよね。
自然は人のために存在しているわけではありません。
自然は人にとって都合のいい物だけ作り、都合の悪い物は作らない、などと、それこそ都合のいいことを考えてくれるわけではありません。
木酢液を作る原材料には、人にとって有害化合物が含まれていますし、製造過程に加熱・燃焼過程があり、その間に有機化学反応が起こり、合成有機化合物ができます(ダイオキシンではありませんよ)。それらがすべて安全だなどといえるほど燃焼反応は甘くありません。

一方、農薬は、人にとっては安全性が高いが、作物に悪影響を与える植物や昆虫や微生物などには有害という、選択的な化合物です。
自然が作る殺虫剤は数多くあり、それをまね、人にとって都合のいい化合物を作る能力が人にはあります。その能力を最大限に生かしてできたのが農薬です。
自然には人を特別視するいわれがないので、人に都合のいい化合物は作ってくれませんが、人にはそれができます。

一般に、新たにひとつの農薬を開発するのにどのくらい大変かあまり知られていません。適当にエイヤァと作っているわけではありません。


市販の木酢液には、原木や製造方法がいろいろあることから、多種多様な商品があり、その成分は一定していません。したがって、一般的にどんな有害成分がいくらあるかといったことはなかなかいいにくい面があります。
梅津憲治著「農薬と食」(ソフトサイエンス社・2003年刊)によれば、p106に「粗木酢液中の成分とそれらのほ乳類に対する毒性」と題して、32種類の化合物の毒性データがまとめられています。ここで毒性というのは、変異原性、刺激性、生殖毒性、および発ガン性のことです。
木酢液にはこれらの毒性を持つ化合物が少なくとも32種類含まれています。

だからといって木酢液が危険だといいたいのではありません。
毒物が含まれているから即使用禁止すべきだなどというのは、自然信仰派の言い分です。
そうではなく、木酢液は天然由来だから安全だということはいえないこと、また、そこに含まれる化合物の毒性は現在の農薬基準を満たさないことから、農薬にすらなれない、農薬以上に危険だということがいいたいだけです。
もちろん、農薬が安全だからどんどん使えと言っているわけでもありません。

人に対する選択性がある・なしがあるということは、ターゲットに対する選択性がある・なしもあることを意味しています。
農薬・殺虫剤は、ターゲットとなる昆虫や微生物にそれぞれ特異的に働く化合物として開発されています。
しかし、木酢液にはそのような選択性はありません。効果を発揮する(のであればその)ターゲットは無差別です。
また、農薬・殺虫剤には分解性が強く、蓄積性が弱い物が選択的に開発されます。ところが、木酢液には一般の有機溶媒として使う有害化合物が多く、蓄積性のある物も含まれています。

このようなことから、人工農薬・殺虫剤と木酢液で、どちらが環境負荷が低く、人にとって安全性が高いか、簡単にわかりますよね。


無農薬、減農薬、有機栽培などといって、いろんな農薬代替物が使われています。一般に無農薬栽培された方が安全だと信じられていますが、農薬代替物は農薬ほど安全性のチェックがなされているわけではなく、木酢液のように、かえって危険な物もあります。

無農薬、減農薬栽培の危険性にはもうひとつの側面があります。
他のコラムでも何度も取り上げていますが、植物は動けないなりに生態防御物質を作っています。
一般に、生体防御物質は通常の生育には必要ないため、いつも作っていたのでは非効率ですから、普段、量が少ないか作っていない例があります。
たとえば、昆虫に葉をかじられた場合、その破壊された葉にのみ有害物質を作る反応が起こることがあります
あるいは、かじられたというキズストレスを他の組織に伝えるシステムがあり、その信号により、昆虫などに有害な化合物の濃度を増やしたり、新たに合成したりします。このようにして、植物は、動けないので逃げることができず、じっとしていながら、防御するすべを身につけています。
このような防御化合物は、昆虫や細菌に特異的に有害というわけではなく、人にも有害な場合が多いことがわかっています。


先に挙げた書籍に次のような事例が載っています。
ナマで食べることが多い野菜の中には数多くの発ガン物質がすでに同定されています。
細菌に感染したりキズストレスを受けたりすると、発ガン物質濃度が上昇する例が紹介されています。
よく農薬まみれで虫も食べないような野菜が食べられるか、といった意見を聞きますが、実は逆で、虫が食べた野菜の方が発ガン物質の量が増えています。
これが自然の摂理です。植物だって自分を守るために必死です。
野菜にとって、人間に食べられるためだけに生きているわけではなく、野菜も生き残ろうと、感染や虫対策として、生き残るために毒物を作ります。


野菜などに毒物の濃度が増すシステムがもうひとつあります。
それは無農薬栽培です。

野菜の品種改良の歴史は、野生種の持っていた毒物(天然農薬)の量を減らす歴史でもあります。そのおかげで、比較的安心して野菜が食べられるようになりました。
その改良の歴史、すなわち天然農薬を減らすことと合成農薬の開発・改良はリンクしています。
植物自身が作る天然農薬の量を減らすと、栽培野菜が感染しやすくなり病気になりやすくなります。それを防ぐのが合成農薬です。
野菜が作るのを減らした天然農薬の分を人が作った合成農薬で補うことで近代農業は成り立っています。
先に見たように、天然農薬には人に対する選択性はありませんから、人にとって有害な物が多くあります。一方、合成農薬には人に対する選択性があり、人には安全性の高い物が使われます。

さて、無農薬栽培を続けるとどうなるでしょうか。
無農薬栽培をすると、栽培種の持つ天然農薬が少ないので、感染症にかかりやすく、収穫量も少なくなります。しかし、中には立派に育つ株も出てきます。この品種から種をとり、次世代も無農薬栽培を続けます。
そうすると、無農薬でも育つということは、特に農薬を使わなくても育つということであり、その栽培種の野生化により、再び天然農薬の合成する量を増やした株です。
それを選択的に次世代に使っていくと、どんどん野生化が進み、より天然農薬の量が増えていきます。
先にあげた書籍には、無農薬栽培により、実際に天然農薬、発ガン物質の濃度が増えていった例が紹介されています。
これも自然の摂理です。


自然が一番、天然が一番と思っている信仰心の篤い人にとっては、その信仰心によってより発ガン物質をたくさん摂取し、ガンになりやすくなることは本望でしょう。厚い信仰心は尊いものです。尊重しないといけません。

でも、その篤い信仰がなく、何となく自然はいい、天然はいい、人工はダメ、と思っている人にとっては、高いお金を払って(無農薬野菜は高い)、発ガン物質のより多い物を買わされているわけですから、こちらは被害者でしょう。


ちょっと補足です。誤解されるといけないので。
ここで天然農薬という言葉を使っています。
植物が作る殺虫毒素などを天然農薬と呼んでいますが、これは人工農薬との対比で使っています。
この天然農薬の毒性は日本で許可されている人工農薬と違って発ガン性を持つものも多くあるため、その発ガン性を持つという理由からだけで、当たり前のことですが、天然の農薬を化学合成や抽出して農薬として申請しても通りません。
つまり、天然農薬と呼んでいますが、農薬として許可されない農薬以上の危険物質です。
念のため。


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