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zoom RSS ダーウィン年 その3 太陽・地球の年齢

<<   作成日時 : 2009/03/01 04:49   >>

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ダーウィンの偉大さは多くの書籍で語り尽くされています。
対立軸があるとわかりやすいので、
ダーウィン 対 ラマルク
とか
進化論 対 創造論という形で取り上げられることが多い。

ラマルクについてはともかくとして、
創造論との対決はわかりやすい話題ですから
いろんなところで語られています。

しかし、創造論との対決以上に

ダーウィン・ライエル 対 物理学者

今風に言えば、

生物・地学 対 物理

の対立軸は意外と語られません。



ダーウィンはライエルの『地質学原理』を読みこなし、ライエル本人とも親密であったと言われています。
『地質学原理』の初版は1830年。ライエルが33歳の時だそうです。
ダーウィンが『地質学原理』を持ってビーグル号の航海に出たのが1831年、22歳の時。
ダーウィン『種の起源』の初版は1859年、50歳の時。

ダーウィンとライエルは創造論の言うところの6000年という太陽や地球の歴史に楯突いたわけですが、
それ以上に実は物理学者とも対立していました。

ダーウィン・ライエル軍の生物・地学軍は
数億から数十億年
という年齢を提唱していました。

それに対して、同じ頃、物理軍は
せいぜい1億年
19世紀末時点で、もっとも確からしい年齢は
2400万年
でした。

聖書の6000年よりは長いですが、
これでは生物・地学軍の数字とあまりにも違いがありすぎます。
ニュートン力学や熱力学など、
物理学軍の英知を結集して出された結果ですから、
こちらのほうが信頼度が高かったのかも知れません。

それでも、未知なるエネルギーがあるかもと言う機運はあったそうです。

20世紀初頭、天才アインシュタインが登場することで、
ダーウィン・ライエル 対 物理学者
の対決は決着しました。




この話は、次の本に詳しいので、そこから引用します。


ニュートリノは何処へ―宇宙の謎に迫る17の物語
シュプリンガー・フェアラーク東京
ジョン グリビン

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「宇宙の謎に迫る17の物語」という副題の通り、
17篇の科学エッセイ集です。

その中に
第4章 ダーウィンと相対性理論の予兆
というのがあります。

地球や太陽の年齢を考察する過程で、
19世紀の末に相対性理論の予兆があったという内容です。

18世紀までに信じられていたように、
地球の歴史は6000年しかありませんでした。
これは聖書の記述に基づくものです。
いまでもこれを信じている、特にアメリカ人は多いそうですが、、、

今のバチカンはそこまで石頭ではなく、
進化説とも柔軟につきあっているようです。


19世紀、ダーウィンやライエルらの活躍により
太陽は少なくとも数億年、おそらくは数十億年の間、定常的に輝いていたはずだと指摘した

これがきっかけで、ダーウィン・ライエル軍は物理学者と激しく対立し、
その論争は20世紀初頭の相対性理論の登場まで続くことになります。
物理学者の理論では、億の単位の歴史は考えられなかったからです。

それでは、
ラマルクの『地質学原理』、ダーウインの『種の起源』前後の
太陽・地球の年齢論争を見てみましょう。




聖書の6000年に最初に楯突いたのはビュフォンだそうです。
出てきた数字は
7万5千年
聖書の世界の10倍以上になりました。
1778年に刊行された『自然の諸時期』によると、

地球が岩石の溶けた球体として誕生し、徐々に冷え続けているものと仮定した

自らの実験データから
地球が溶けた状態で生成したとすると、生命が現れることができる程度に地球が冷えるまで3万6千年を要し、更に現在の温度になるまで3万9千年を要すると算出した


次に登場するのはフーリエ。
大きな物体から熱が失われる速さを記述する方程式を作り上げ、地球が冷えるのにどれだけの時間を要するかという問題に適用した
1820年、地球の年齢を推定する方程式を書いていますが、その答えは公表しませんでした。


ここで、ライエルの『地質学原理』の初版がでます。
1830年。


次にトムソン(ケルヴィン卿)が登場します。
フーリエの式を使って計算し、地球の年齢の推定値として
1億年
という数字が出てきました。
それでも、ダーウィン・ライエル軍と比べて短すぎます。

しかし、物理学軍は強硬です。
熱力学に基づけば、数億年以上という年数は決して出てきません。
この1億年という数字も大きすぎだと感じられていました。
太陽の燃焼が石炭の燃焼のように燃えているのだとすると、
数万年以上保てないそうです。

となると、他のエネルギー源を探さないといけません。
物理学軍は大まじめです。
太陽は誇大な重力がある。重力エネルギーがあるはず。
太陽の重力に引き付けられて、太陽に向かって落ちてくる隕石の衝突によるエネルギーが考えられました。
隕石の運動エネルギーが熱エネルギーになるという話です。
トムソンは1853年にその考えを知ったそうです。

ところが、隕石程度では全然エネルギーが足りません。
隕石はたくさんありません。
そこで目をつけたのが惑星。
仮に水星が太陽に衝突するとすると、発生する熱量は、,,
なんと7年分しかありません。

つぎに金星を衝突させても84年分、
海王星でも2000年分しか供給できません。
結局、惑星を全部費やしても、太陽が輝き続けられる期間は数万年程度である。つまり「隕石的な」エネルギーの供給方法も、化学的な方法に比べて優れているわけではなかった


次に登場するのはヘルムホルツ。
1854年、「太陽自身の重力エネルギーが、太陽に熱を供給した」という考えを提唱したそうです。


ここで、ダーウィンの『種の起源』の初版がでます。
1859年。


先ほどのトムソンも引き続き研究しています。
1862年
総熱量から計算して、太陽が現在のように輝き続けることのできる期間は1000万年から2000万年の間であった
太陽が1億年以上輝き続けてきたという可能性はあまりないし、それが5億年以上ではないことは、ほぼ確実である
地球の生物が太陽からの光と熱を今後享受し続けられる時間も、1億年を超えることはなさそうだと言える

ということで、ライエルどころかダーウィンの考えも否定してしまいました。


1887年
トムソンはまだまだ粘ります。
詳細に計算します。
その過程はばっさり省略します。
結果的に2000万年程度という数字しか出てきません。


1892年
トムソンはケルヴィン卿になります。
1897年までに
ケルヴィン(トムソン)は
太陽と地球の年齢のもっとも信頼できる推定値を、2400万年とした
この推定値は、当時としては非の打ち所のないものだったそうです。


1899年
チェンバレンは「サイエンス」に次のように発表したそうです。
原子の内部構造の問題は未知のものである。原子が複雑な構造を持ち、莫大なエネルギーを保持していると考えることも不可能ではない


アインシュタインが『特殊相対性理論』を発表するのは
1905年。


1945年7月16日
ニューメキシコ州で最初の原子爆弾が炸裂しました。


そして、8月6日、8月9日。
物理学軍は勝利したのでしょうか?


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東日流外三郡誌騒動と「トンデモ本の世界X」
「邪馬台国はなかった」で著名な古田武彦氏の復刻版がミネルヴァ書房から出続けています。当初は大学生協の書籍部にも置いてあったのですが、7巻から消えました。 古田氏の初期の本は楽しく読めますから、復刻を喜び、買い始めました。その中でも秀逸は「東日流外三郡誌」を扱った「真実の東北王朝」でしょう。 今回は、この本を俎上に載せます。 これは、4年前に書いた次のエントリーの続きにもなります。 4年越しの「その2」です。 ○祝!「幻の寛政原本」発見 東日流[内・外]三郡誌 その1 http:... ...続きを見る
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