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幸福の科学関連本の所有数は200冊近くになりました。 http://www2.biglobe.ne.jp/~ashida/kurekousen/books.html 1990年頃にリアルタイムで購入した本以外、すべて古本屋で入手しています。 その多くは105円で購入していますので、それほどの投資ではありません。 総裁先生による法シリーズ最新刊は「生命の法」です。 2008年1月出版のこの本もすでに古本屋に並んでいます。 法シリーズは初版本にこだわって集めています。なるべく105円で。 「生命の法」の解説が月刊の小冊子「幸福の科学」5月号に連載されています。 7回シリーズだそうで、現在(9月号)、第5回です。 最新号は以下のページからeBOOKで全ページ読めます。 http://www.kofuku-no-kagaku.or.jp/magazine/list/details/10_1334.html この小冊子は全国にある「精舎」などで(信者じゃなくても)手に入れることができます。 近くの精舎は土日が休みらしく、土日しか行けませんから、いつもしまっています。 幸い、玄関前に冊子がおいてあるので、手に入れることはできます。 「生命の法」の解説になにが書いてあるのか 「生命とは何か」を題材に、「宗教」と「科学」の見方の違いを解説しておられます。 これが、なかなかおもしろい。 簡単に言えば、宗教の見方では、上からズバッと最初から結論を述べるように「演繹的」なのだそうで、それに対し科学の見方では「帰納的」なアプローチしかできず、唯物論に陥り、中途半端なことしかわからず、本質は見抜けないそうです(第1回)。 「生命とは何か」であれば、宗教的立場は、「神の考えはこうである。あるいは、哲学的にはこういう理念がある。それがこのように具体化してきたのである」、「そもそも、こういう目的があって、このようにつくられている」というように、上からズバッと述べることだそうです(第1回)。 簡単に言うと、ここで言うところの、「目的」や世界の有り様は、既存の宗教では理解不可能だそうで、総裁先生おっしゃるお言葉だけが、つまり、エル・カンターレの意志だけが「上からズバッ」の真理だと言えます。 「生命とは何か」に答えきっている教えをつかむことが、とりあえずの信徒の目的のようです。 その目的を達するためには、既存宗教をいくら学んでもダメだそうです。 キリスト教などの既存の宗教にはヘンな教えがあるので、「生命とは何か」をつかみきることができないそうです(第2, 4, 5回など)。 化石宗教は一掃しないといけないらしい(第4、5回)。 では、何を学べばいいかといえば、幸福の科学の教え、つまり総裁先生の教えを学べばいいのであって、それ以外に目的を達成する方法はないようです(第3回)。 『いま、一番問題のある人、すなわち、「この世を去って、あの世に還ると地獄に堕ちる」と思われる人々は、「人間の生命とは何か」ということをつかんでいなかった人たちなのです』(第3回) 科学的アプローチではなおさら「生命とは何か」をつかむことはできないそうなので、わたしなど、死ぬと真っ先に「地獄に堕ちる」ことになりそうです。 唯物論では地獄に堕ちると「法シリーズ」などの御著書で繰り返し述べておられます。 永遠の生命を生き続けるという発想や、死後の生命が信じられるというのは、つまり信仰だそうで、それにはやはり壁があるそうです。 しかし、その壁は、「信じ切る」ことで乗り越えることができるらしい。 乗り越えることができれば、あとは何のことはないらしい。 これって、私が前に「ゲノムの理解」や「科学的な考え方」で書いた自転車論と同じでは? 「中四国農政局シンポジウムのその後」 http://yoshibero.at.webry.info/200808/article_3.html 危ない、危ない。 知らないうちに信仰の世界に「足を踏み入れて」いたらしい。 宗教は演繹的で科学は帰納的だという考え方はおもしろい 宗教は演繹的とは言っても、世の中の仕組みははじめから決まっていて、こうだと上からズバッと言うことだそうですが、そのズバッと言う内容は総裁先生の言葉だけで、総裁先生しか知らないことらしいので、そのおっしゃることを信じ切るしかありません。 ただ信じるのではなく、信じ切るそうです。 科学は本質を追究することはできないそうです。 その理由が、科学は帰納的アプローチしかできないからだそうです。 確かに科学的アプローチで、真理を追究することはできません。 これは科学の宿命で、仕方がないことです。 もし、真理が究明できれば、そのとき、科学は不要になっています。 (かといって、宗教に本質が見抜けるとは思えません。 最初から答えがあって、その物語を信じることが本質だというのはちょっと違うような) しかし、科学でできるアプローチは帰納的だけではありません。 そもそも、ポパーは帰納主義を切り捨て、論理実証主義を切り捨て、反証主義に到達しています。 他にも興味深いことが書いてありました 布教が思うようにすすまなくてもきちんと言い訳できるように逃げの一手が打ってあります。 エル・カンターレの意志は地球レベルの教えであって、指導方針もどのように地球人どもが進化させるか考えがあるそうですが、なぜか未来予知は苦手らしく、この教えがいつ地球宗教になるかわからないそうです。 「何百年かかるか、千年かかるか、二千年かかるかはわかりませんが」(第5回)。 なんか違和感がありますね。 どうやら、これはエル・カンターレの意志ではなく、総裁先生の願望のようです。 |
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